読みたいことを、書けばいい。 / 田中泰延
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林修先生が初耳学で紹介していてさらにヒットした感がある本書。
『読みたいことを、書けばいい。』というタイトルと、軽口の連続とも言えるような書きっぷりとは裏腹に、内容は実は厚かったりします。
特に、普段ブログなどを書いている人に響くであろうところは P142。
つまらない人間とはなにか。それは自分の内面を語る人である。
という点。
多くの人は小学校や中学校で「感じたことを書きましょう」といった教育を受けてきていて、本書のこの部分は過去に教わってきたことに反します。
こんにち多くのライターが書いているもの ≒ 随筆は、最後に心象を述べるものです。しかし、心象を述べるためには事象、しかも強い事象が必要になります。
ということは、感じたことをダラダラ書くのではなく、しっかりとした調査に基づく事実が 99%(以上)、ライターの考えは 1%(以下)であるべきです。
私も随筆というものは内面を語るものだと思っていたのですが、『読んでいない本について堂々と語る方法』では
自分自身について語ることーこれがワイルドが見るところの批評活動の究極のねらいである
とあります。
読みたいことを書く、ということと、本について語るということは、異なる行為です。
内面を語るのはつまらないという主張と、自分自身について語ることが批評活動の究極の狙いであるという主張は矛盾するような気もします。
と、このタイミングで田中氏の映画のレビューを読んでみて、これらが矛盾しない、ということがわかりました。
マッドマックス 怒りのデス・ロード【連載】田中泰延のエンタメ新党 | 田中泰延 | 街角のクリエイティブ
批評、もしくは随筆を書くということ、自分自身について考え、語るということにおいて、内面はストレートに語られるべきではなく、むしろある事象についてどう調べ、どんな切り口で、何を語るかによって内面の輪郭を明らかにするべきなのだ。という理解をしたら自分の中ですっと入ってきました。
ただ内面を語っただけの文章では輪郭が無く、脆くて弱いものになってしまいます。
事象によって外側から語ることで輪郭が浮かび上がり、他者から観測できるようになる。というのが「99%の事象に基づいて 1%の考えを書く」ことで自分自身について語るのがあるべき姿だ、ということなのでしょう。