チームでのコミュニケーションは焚き火を囲むようなもの

thumbnail for this post

David MarkによるPixabayからの画像

特にオチはない。

リモートワークの時代になって、リアルでのコミュニケーションが大事だとか、いやオンラインでも大丈夫なんだとか、色々なことが言われるようになった。

チームで仕事をするにあたって、それぞれの仕事場所を意識させないような=同じ場所で働いているような”体験”を提供するツールや、そうしたツールを使っているところも増えているように思う。

そうなると今度は「ツールによる体験はリアルのそれと同じなのか劣っているのか」とか「これでコミュニケーションが活発になるのか」とかとか、さらには「コミュニケーションは必要なのか」といった問いを立てては侃々諤々していたりする。

個人的にはこの手のツールは、もともと個々が持っていたコミュニケーションの能力やコミュニケーションそのものへの意欲のコントラストをよりはっきりさせた、と感じている。

そこで冒頭の焚き火の例えが頭に浮かんだ。

仕事をしているチームでのコミュニケーションは、全く無ければ火が消えた状態で、盛り上がっていれば火が燃え盛っている状態、とする。

火が消えた状態から、一定メラメラと燃えるまでには、火種と、誰かの着火が必要になる。そして、一度火が着けば終わりではなく、定期的に薪をくべる必要もある。

チームでのコミュニケーションが一定盛り上がっている、ようにみえる場合でも、その実態はおそらくバラバラ。

よくありがちなのが、限られた2,3人だけが薪をくべて、残りの人はそれにあたっているというパターン。

これも、不満が出てこないならいいだろう。けれど、大体はチームのリーダーなりマネージャなりが、「もっとみんなも薪をだな・・・」と思う。気持ちは、わかる。なぜ人(巨大な主語)は、平等なコミットメントを求めるんだろうか・・・

コミュニケーションの焚き火は、ただ火にあたっているだけの人、フリーライダーが目立ちづらいかもしれない。が、実はみんな気づいているし、スルーしているだけの場合が多い。

着火と維持をしてくれている人に敬意を評しつつ、すくなくともみんな小枝の一本くらい投げ入れているような状態が理想なのかもしれない。


ちなみに、どこかの誰かが似たようなメタファしているだろうなと思って調べてみたものの、「コミュニケーションには焚き火が最適!」というリアル焚き火情報にあふれていた。

Yoshiki Ito
Yoshiki Ito
山形出身 千葉在住の本業QAエンジニア
2022-05-31

Tags