森博嗣の道具箱/森博嗣
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- 読書感想
森博嗣氏の小説は『スカイ・クロラ』と『どきどきフェノメノン』くらいしか読んだことがないものの、エッセイ等小説以外にはハマっていて、その一環で読んだ。(ちびちびと読んだので、薄い文庫なのに数ヶ月かけた気がする。)
日経パソコン、という雑誌の連載を2年分まとめたものだそうで、森博嗣氏が所有している道具について語る、という切り口で色々な考えを述べている本。
森氏自身は(本書ではあまり深くは触れられていないものの)日々の飯の種として小説なり本なりを書いていて、決まった時間しか書かない(そしてその時間できちっと仕上げる)という、小説家と聞いてイメージするような「常時締め切りに追われている、変わり者」という人物像からは程遠い。(工学部の助教授だったので、そちらのほうがイメージに近いのかもしれない)
ものづくり、が好きな森氏の視点で色々と書かれているので、ソフトウェアエンジニアの自分にすごく刺さる部分もあれば、「ここは少し違うかな?」という部分もあった。
刺さった部分は、最初と最後。
普通は、目指すものがあって、そこへ到達するために道がある。道具とはそういった「過程」を築くための存在といえる。しかし、良い道具を持つことは、人の視点を変える。素晴らしい道具に触れると、ときとして視点は高くなる。はるか遠くまで見通すこともできるだろう。
これは、プログラミングなどについても言えると思っていて。理想的には「コレを作りたい!」があってそのための道具を揃える(≒学習する)なんだろうけれども、そもそも手元に何かしらの道具が揃わないと「コレを作りたい!」という発想すら出てこない、という場面はよく遭遇する。し、自分が仕事でプログラミングなどを教えていると、最初は聞くだけだった相手も、少し理解してくると「こんなことができそう」という、教える側が思いもつかなかったようなアイディアを出してきたりする。(そしてそれが教える楽しみだったりもする)
道具や手法ではない。工夫や忍耐など、単なる道筋に過ぎない。人がものを作るときの最も大きなハードルとは、それを作る決心をすることだ。自分にそれが作れると信じることなのである。それさえ乗り越えれば、もうあとには、努力という誰にでもできる退屈なルーチンが待っているだけだ。そして、完成させることで証明されるのは、最初の決心の正しさにほかならない。
こちらはどきっとする人のほうが多いように思う。努力を「誰にでもできる退屈なルーチン」と言い切れる人は森氏が思っているよりもきっと少ない。
こういった、ときにハッとするようなことが散りばめられつつも、森氏の他の書籍(小説ではなく新書など)と比べると、わりとライトでありつつも偏愛に溢れた本になっているので、森氏の著書を何冊か読んでから本書を手に取るのが吉。