細かく記録を取りながら読書をすることの弊害
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ここ2年くらい、Booklyというアプリを使って読書記録をつけている。
「Bookly Track Books & Read More」をApp Storeで
これはこれでしっくりきていて、ツールとしても良い。本を読むときには、Booklyで「Start Reading」あるいは「Continue Reading」を押すとタイマーが開始され、読み終えたらページ数(電子書籍の場合はパーセンテージ)を入れてStopする。
基本的にはこれだけ。
年間の読書時間や読了冊数などを確認もできる。
いい感じのインフォグラフィックをツイートすることも可能。
I just #read noteではじめる 新しいアウトプットの教室 楽しく続けるクリエイター生活. Here's a cool #infographic about it made with #booklyapp pic.twitter.com/9pINoUtBe5
— 伊藤 由貴 (Yoshiki Ito) (@yoshikiito) March 1, 2021
読書体験として、この「毎回アプリで記録する」は自分にとって馴染んでいて、行為として自然になってきている。一方で、たまにこの記録の存在が妨げになることもあることに気づいた。
記録ができないから読書ができない
本を読もうと思ったときに手元にスマホがない=記録できないから、今は読めないな・・・こういった判断をしてしまうことがまれにある。メモ魔だから常にモレスキンと共にあるんです、という方には無縁の悩みかもしれないけれども、自分はノートは買うくせに書ききらずに終わってしまう派。
これは読書を記録する行為の弊害で、すごく本末転倒。
過去に似たようなこともあって。オンラインゲームにハマっていた頃。ゲームのプレイ日記をブログで公開しよう!と(余計なことを)思い立ち、ブログを作成して記事を書き始めた。
そうすると、ブログを書く時間が必要になるためにゲームをする時間が減り、かつ「前回プレイ時の日記を書いていないから、ブログ記事を公開するまでゲームができない」というこちらも本末転倒な状況に。
もちろん、プレイしたときの記録をすべてつける必要は本来なくて。「前回は1~10までやって、今日は15~30までやりました!」というブログを書いたところで何の問題もないわけで。
ところがひとたび「記録」という行為をし始めてしまうと無意識の制約に縛られて「記録せねば」となってしまう。(結果、このときはオンラインゲームをやめてしまった)
何を重視するのか
読書に限らず「もれなく記録をつけねば」と思うと行為自体の妨げになってしまうことがある。これは完全に気持ちの問題で、漏れのない記録よりも読書を好きなときに好きなだけやって、結果読了が積み上がっていくことのほうが大事だ、ということを頭に置いておく必要がある。