細かく記録を取りながら読書をすることの弊害

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ここ2年くらい、Booklyというアプリを使って読書記録をつけている。

‎「Bookly Track Books & Read More」をApp Storeで

これはこれでしっくりきていて、ツールとしても良い。本を読むときには、Booklyで「Start Reading」あるいは「Continue Reading」を押すとタイマーが開始され、読み終えたらページ数(電子書籍の場合はパーセンテージ)を入れてStopする。

基本的にはこれだけ。

年間の読書時間や読了冊数などを確認もできる。

いい感じのインフォグラフィックをツイートすることも可能。

読書体験として、この「毎回アプリで記録する」は自分にとって馴染んでいて、行為として自然になってきている。一方で、たまにこの記録の存在が妨げになることもあることに気づいた。

記録ができないから読書ができない

本を読もうと思ったときに手元にスマホがない=記録できないから、今は読めないな・・・こういった判断をしてしまうことがまれにある。メモ魔だから常にモレスキンと共にあるんです、という方には無縁の悩みかもしれないけれども、自分はノートは買うくせに書ききらずに終わってしまう派。

これは読書を記録する行為の弊害で、すごく本末転倒。

過去に似たようなこともあって。オンラインゲームにハマっていた頃。ゲームのプレイ日記をブログで公開しよう!と(余計なことを)思い立ち、ブログを作成して記事を書き始めた。

そうすると、ブログを書く時間が必要になるためにゲームをする時間が減り、かつ「前回プレイ時の日記を書いていないから、ブログ記事を公開するまでゲームができない」というこちらも本末転倒な状況に。

もちろん、プレイしたときの記録をすべてつける必要は本来なくて。「前回は1~10までやって、今日は15~30までやりました!」というブログを書いたところで何の問題もないわけで。

ところがひとたび「記録」という行為をし始めてしまうと無意識の制約に縛られて「記録せねば」となってしまう。(結果、このときはオンラインゲームをやめてしまった)

何を重視するのか

読書に限らず「もれなく記録をつけねば」と思うと行為自体の妨げになってしまうことがある。これは完全に気持ちの問題で、漏れのない記録よりも読書を好きなときに好きなだけやって、結果読了が積み上がっていくことのほうが大事だ、ということを頭に置いておく必要がある。

Yoshiki Ito
Yoshiki Ito
山形出身 千葉在住の本業QAエンジニア
2021-03-02

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