そのものに魅力があれば、勧めるための言葉は要らない。こともある。

たまにこのブログや別のブログで、書籍の感想を書くことがある。感想をわざわざブログに書くくらいなので、「良い本だった」「面白かった」と思っていることがほとんど。だから、面白さをより伝えたいと思って書く。

そして、面白さがどれだけ伝わったのか、の目安のひとつが、”自分の記事がどのくらいSNSで拡散されたか”や”自分のブログ記事をきっかけに勧めた本が何冊売れたか”だったりする。

前者はTwitterを見ていれば大体の感じはわかるし、後者はAmazonの仕組みで数値がとれる。

ただ、自分のような素人がブログに書いたくらいでは、書籍の魅力を十分に伝えることはなかなか難しい。まして(それが主目的でないからなおさら)本が たくさん売れる、ということもない。

ちなみに自分の目標は、月の書籍代をブログで稼いでまた感想をブログに書いて、というサイクルを回すことだったりする。行動が伴っていないけれど。

さておき。

素人だなんだといっても、それらしい文章術の本を読んで小手先のテクニックをかじってみたり、Amazonへのリンクを押しやすそうなボタンにしてみたりという工夫はしている。文章も下手なりに考えて書いてはみる。

ただ、そこからSNSで広がったり売れたりはしない。

一方で、こんなこともある。

返信を見ていただくとわかるように、一人(あきやまさん)が「それ面白そうだね」と本を買ってくださっている。

これを、あえて極端にせまーく考えてみると、「感想なんかなくともタイトルが刺さる人の目に触れれば売れる」とも言える。 なんなら上のツイートでは、本を読んですらいないので。

うまく感想が書けないなどと言って悩んで書評記事を書くよりも、本のタイトルとリンクだけで十分役割を果たしていることになる。

似たような経験がちょうど(この記事を書いている)今日あった。

「この記事めっちゃ面白かった!」とか「これこれこういうところが参考になる」とか、そんなコメントすらなく。「あとで読む」という、他人には情報量ゼロの文字列とともにリンクをシェアしたほうが、普段自分がやってるネタツイよりも「いいね」がついてしまった。

余計な言葉なんていらなかったんや・・・

ここでの話、というか結論はあえて極端なことを言っているけれども、「コンテンツそのものに魅力があれば、余計なオススメ文章はなくてもよい」というのは部分的に正しいと思う。

本やネット記事に限った話ではなく、刺さる相手に刺さるタイミングで情報を届けることに一定の価値があって、「気の利いたコメントができない」ともし悩むようであればそこは気にしなくてOK!なのかもしれない。

Yoshiki Ito
Yoshiki Ito
山形出身 千葉在住の本業QAエンジニア
2022-06-03

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