口語調というか、独り言をあれこれしゃべるようにしてObsidianのメモを書いていくと、いいかんじに思考が発散する気がしている。
なにがどう「いいかんじ」なのかというと、これをやっていると
- 楽しい
- なにか沢山メモや思考の断片が生まれてうれしい
などを感じるから。
後者はクリフトンストレングスの「収集心」に該当するかもしれない。
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これで、特に効果があると思っているのが「ストレスを感じたとき」に、その原因をObsidianにブツブツ独り言を言うように書くこと。
AC6やっててイライラする。
面白いゲームらしいのはわかるけれども、うまくいかないと腹が立つ。
これをもっと言語化することに意味がありそうな直感があるので、書いてみたい。
まず大前提にありそうなのが、「負け」とか「失敗」がそもそも嫌いだというのがある。
「最初からうまくいくわけない」「練習して上達するもの」というのはもちろん理解できるし、実際突き詰めていくと同じことなのかもしれない。
が、ゲーム性のようなところで、それこそ「ピアノが上手に弾けなかった」という体験と「AC6でボスに負けた」という体験とには決定的な違いがあるように思う。
AC6での「負け」を例えるならば、友達から「***ってゲームやろうぜ」と言われて了承したものの、ルール説明もなしに「はい、はい、これがこうでこうで、俺の勝ち。お前の負け。」と言われているような感覚がある。
↑こんなイメージ。
ほんとうにブツブツ独り言を言うだけだと非生産的だけども、文章に書き起こすことで「なんでだろう」まで考えることができる。